9月5日(水)午後7:00~7:55

その時、すでに決壊していた~生死を分けた判断と行動~

「気付いた時には逃げられる状況ではなかった」
被災者からよく聞かれる言葉だ。
甚大な被害が出た西日本豪雨から2か月。岡山県では、今もなお大きな爪痕が残っている。
また、様々な検証が進んでいるが、川の堤防はいつ決壊し、どのように浸水は広がっていったのか。
RSKが倉敷市真備町で新たに入手した映像からは、高馬川の堤防が6日の時点ですでに決壊していたことが分かった。
さらに、末政川の周辺住民は、少しずつ崩れていき、決壊した堤防を目の当たりにしていた。
一方、岡山市東区の砂川の周辺では、堤防決壊の時間に迫る記録が見つかった。
多くの人が犠牲になった7月の記録的豪雨。
いち早く、高台にある神社へと避難し、命をつないだ地域がある。
加えて、ある人はこう話す「即断即決。迷っていたら逃げ遅れていた」
堤防は、いつ決壊したのか。また、どのような判断や行動が生死を分けたのか。生放送で専門家とともに検証する。

写真=堤防が決壊した砂川(視聴者提供)