9月20日(水) よる8:00~8:55

戦争の語り部たち~フジコ・ヘミング戦時下の青春~

「焦土と化した市街地の至る所で、集められた無数の亡骸が燃やされていた。無性に悲しくなった」「焼け野原に天満屋だけが残っていた。
手元のカメラで撮りたくなった。
以来、定点で復興への道のりを撮り続けた」「食糧難で食べ続けたお粥。戦後受け付けない体になってしまった」戦時下の克明な体験談を集めた。
ヨーロッパ、アメリカで活躍する「魂のピアニスト」フジコ・ヘミングさんは東京から総社市に疎開した。初恋の人は総社の部隊に配属されていた名も知らぬ将校。
疎開先にあったピアノで毎日西洋のメロディーを弾いていたフジコさんに「今日はピアノ弾かないんですか」と声を掛けてくれた。しかし終戦とともに二度と会うことは無かった。
映画「はだしのゲン」のプロデューサーであり、「岡山四聖人」の石井十次、山室軍平、留岡幸助を題材にした3本の長編映画を撮った山田火砂子監督(91)は東京空襲を体験。強制参加させられた防災訓練で使い方を教わった長ハタキは焼夷弾で燃え盛る火の手の前に無力だった。神風ならぬ雨が降り、消火してくれるものと本気で信じた。しかし強風にあおられ炎は瞬く間に燃え拡がった。そのとき、学校の先生が「嘘つき」だったことを知った。
終戦から78年を経ても脳裏に焼き付いている戦時下の青春が呼び覚まされる。
(写真=フジコ・ヘミングさん)