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「夢であってほしかった・・・」今も残る“東京五輪のトラウマ”新谷仁美が涙ながらに語った苦悩

カメラが回ると収録前の笑顔は消え去った。声を震わせ、時折涙を浮かべながら、新谷仁美(33・積水化学)は思いを絞り出した。
高橋尚子:改めてどんなオリンピックだったと感じていますか。 新谷仁美:経験したくなかった。できれば、夢であって欲しかったなって毎日思ってます。なんか現実であって欲しくなかったなっていう。今は、だいぶ落ち着いたんですけど、9月、10月ぐらいまではずっと何か受け入れることがなかなか難しくて、かといって今受け入れているかといったら多分受け入れてなくて。だから練習でも不安になって過呼吸になったりして、毎回ではないんですけど。そういう現象が起きたりしてその都度やっぱり泣いちゃうし。 2020年12月4日、日本選手権10000m。新谷は日本記録を30秒近く更新し、東京五輪の切符をつかんだ。参加21選手中19人を周回遅れにする圧倒的な走りだった。そして8か月後の今年8月7日、東京五輪女子10000m決勝。スタート直後は先頭集団にいたが、持ち前の積極的なレースはここまでだった。周回を重ねるごとに順位を落とし、21位でフィニッシュ。自己ベストから2分以上遅いタイムで新谷の東京五輪は幕を閉じた。レース後新谷はこう語った。 「何度も何度も逃げ出したいと思った」 高橋: 心の揺れ、なんかちょっと不安だなと思い始めたのはいつぐらいですか。 新谷:多分東京五輪が始まる前から。多分日本新で代表内定をもらった瞬間からだったと思います。 新谷は2014年に一度現役を引退、4年間の社会人生活を送った。そこで度々耳にしたのは決して好意的でない口調の「スポーツ選手は特別だからね」という言葉。復帰後「スポーツにネガティブな人もいる。そんな人たちに寄り添うアスリートでありたい」という持論を何度も発信した。しかし、折しも新谷が五輪代表に内定した頃から新型コロナウイルスの第3波がやってくる。“五輪開催に懐疑的な声=スポーツにネガティブな人々”が増えるにつれて、新谷の心も揺れ動いていった。 五輪開幕まで3か月を切った今年5月、新谷はこんなコメントを残している。 「自分たちさえよければいいというのであれば、本当に通用しないと思う。国民の意見を無視してまで競技をするようじゃ、それはもうアスリートじゃない。応援してくれる人たちだけに目を向けるようじゃ、私は胸を張って『日本代表です』とは言えないです」 高橋:アスリートが社会にどういう関わり方をすべきなのか、最初に声を出して伝えるっていうことは物凄く大変だったと思います。強い思いがそこにはあったのかなと思うんですけど。 新谷仁美:スポーツ選手と国民がこんなに離れては、やっぱりお互い頑張れないし、お互い否定的になってしまう世の中になってしまう。私はスポーツを身近に感じてきたからこそ、もうスポーツをまるまる受け入れてほしいわけではなくて、やはりこういうものが存在するっていうことも感じてほしいなっていうのがありました。それをどう理解してもらえるのかなと思ったときに、やっぱ伝えなきゃいけない。走ることで伝わるなんて綺麗事っていうか伝えきれない部分もあると思うんですよね。だったらしっかり言葉で相手に伝えて、こういうことを僕たちはしたいです、私達はしたいですっていうのを伝えて、お互い合意の上でやるっていうことが一番いいのかなと思いました。 社会とスポーツの在り方を考え続ける稀有なアスリートゆえに、心は揺れた。そしてそれは、トレーニングの量と質にも表れた。 新谷:コーチは「練習に集中できないのは新谷自身のせいじゃないよ」って言ってくれるけど、でも私はやっぱりこの仕事をしている以上は自分で責任を持たなきゃいけないっていうのがどうしても強くあるから、集中できない自分をずっと否定していました。東京五輪まではもうずっと自分を否定しっぱなしで、でもそれでもごまかしごまかしで練習をしてきたっていう感じでした。 東京五輪を経て、自己否定感に拍車がかかったまま今を過ごしているという。そしてもう一度前を向こうと、必死であがいてもいる。 新谷:走る姿を見せているのが恥ずかしいなって思うのがなかなか消えないなって。長距離なので街中でジョギングとかするときに、どんなにサングラスとか帽子とかをかぶって顔を隠しても、走り方とかでわかる人はわかるので、それで気づかれることが、ちょっと恥ずかしいなと思って。だから、なるべく人がいない時間帯を狙って朝早く走るようにしています。あの経験をしたことで、陸上をやめるっていうよりも、それ以前になんか「いなくなりたいな」って思うようになってて、やっぱ今もそれは続いてます。 高橋:どうしたら吹っ切れるかな?前向きになれるかな? 新谷:吹っ切れる方法はわかっているんです。継続して練習ができることと、結果を出すこと。この2つが、結局ストレスなく、発作も起こらない方法なので。誰かが優しい言葉をかけてくれたり、好きな洋服をいっぱい買ったり、猫と犬と一緒にいるより、家族と一緒にいるより、友達と遊ぶよりも何よりも、練習を継続してできること、試合で結果を出すこと、この二つができないと、やっぱり吹っ切れないので。東京五輪を経験して、よくわかりました。そういう意味ではクイーンズ駅伝を一つのきっかけにしたいなと思っていて。常に自分のことを否定してきている人間だから、そこで挽回したいなって思います。 岡山・興譲館高校時代は全国高校駅伝花の1区で3年連続区間賞。実業団に進んでからも駅伝では無類の強さを発揮してきた。去年のクイーンズ駅伝エース区間3区での驚異的な区間新記録は記憶に新しい。 高橋:目指すのが駅伝でよかったなっていうふうに思わない? 新谷:これが去年のような、12月にあった、日本選手権の5000mと10000mの選考会だったら多分欠場しているかなって思います。 高橋:自分1人だけで前を向こうと思ったら難しいけれど、やっぱりチームで挑むということで、支えみたいなのは大きいですか? 新谷:東京五輪前に応援メッセージの動画をチームの仲間からもらって、それがすごく嬉しかったです。今までそういうのを経験したことがなかったので。結構、一匹狼的な部分があって、ずっと団体の中にはいたけど、なんかどうしてもちょっと1匹外れてるっていう感じがずっと過去あったので、それが初めてチームの一員になれてるんだなっていうのを感じました。チームの仲間たちが、私のことを思ってくれてるっていうのは、特にこの1年は強く感じられています。会ったときにかけてくれる「私も頑張りたいです」っていう言葉や「新谷さんと一緒に頑張りたいです」って言ってくれることが、気持ちを落ち着かせてくれる部分ではあるなと思いました。 もう一度、前へ。稀代の長距離ランナー新谷仁美の復活劇は、クイーンズ駅伝で幕を開ける。 高橋:クイーンズ駅伝、狙うのは・・・。 新谷:優勝です。区間賞も欲しいです。 高橋:そうすることができれば、自分がこの先どういうふうに進めそうですか。 新谷:今完全に下を向いてるのが、90度あがるくらいになるかなって。完全に真上には上がらないけど、半分くらい顔上げて、生きていけるかなと思います。 ■新谷仁美(にいや・ひとみ)1988年2月26日生まれ、岡山県、興譲館高出身。166センチ。世界陸上11年テグ、13年モスクワ、19年ドーハ、12年ロンドン五輪、20年東京五輪出場。10000m、20Km(男女混合)、ハーフマラソン(男女混合)の日本記録保持者。(26日19:30)

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