シンポジウムの模様
左:馬越恭平(サッポロビール㈱提供)
右:米井源治郎(㈱ヨネイ提供)
作家・ビール文化研究家
端田 晶 氏
日本初、銀座に恵比寿ビアホール(サッポロビール㈱提供)
家庭で飲まれ始めたビール(サッポロビール㈱提供)
シンポジウムの模様
津山洋学資料館名誉館長
下山 純正 氏
コロナ対策
第6回シンポジウム実施報告
公益財団法人山陽放送学術文化・スポーツ振興財団は6月17日(木)、国造りの根幹をなす「殖産」をテーマにしたシリーズ・シンポジウム「近代岡山の偉人伝 殖産に挑んだ人々」を、岡山市北区の能楽堂ホール「tenjin9」で開いた。
第6回となる今回は「大衆文化を変えた男」と題し、ビール3社の大合同合併を実現し、大日本麦酒を設立して[東洋のビール王]と称された馬越恭平と、三菱と組んで麒麟麦酒を創立し、馬越に戦いを挑んだ米井源治郎を取り上げた。
岡山県のガイドラインに沿い、より厳しい新型コロナ感染防止対策をし、ソーシャルディスタンスを保ちながらの開催となった。
今回の講師は、作家でビール文化研究家の端田晶さん。講演のタイトルは「岡山人同士のビール戦争」。
端田さんはまず、明治期から戦後までの日本のビール産業の歴史について紹介した。この中で端田さんは「1869(明治2)年に北海道開拓使が設置されて以降、日本は文明国だという国際的アピールの必要性もあってビール醸造所が開業し、これによってビール国産化への機運が一気に高まっていく。この後、横浜では三菱と外国資本が組み、日本人をターゲットにした麒麟麦酒が設立されるなど、100社以上の会社が競い合うようになる。
こうした背景の中で、遠縁の磯野計が興した商社明治屋に入った美作国高倉村(現津山市)出身の米井源治郎が一手販売店として麒麟麦酒を手掛け、また経営不振が続く日本麦酒に、三井から備中国木之子村(現井原市)出身の馬越恭平が送り込まれたことにより、岡山人同士のビール戦争、馬越と米井の直接対決が始まった」とその経緯を解説した。
続いて、馬越の業績について「熾烈な競争が続くビール業界にあって1906(明治39)年、時の実力者渋沢栄一や内閣を動かし日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒の大合同合併を実現。大日本麦酒を設立して社長に就任した。ビールがまだ大衆の飲み物ではなかった時代である。憧れの銀座に安価で飲める日本初のビアホール「恵比寿ビールBeer Hall」を開いたり、芸者を動員し仕掛け花火を使ってビールをPRするなど、ある意味革命的な方法でサラリーマン・一般家庭にも新しい飲み物ビール売り込んだ。誰も思いつかなかったこれらの作戦は大評判をとり、国内シェアを7割以上に伸ばすなど、馬越は[東洋のビール王]と称された」と、ビールと日本人の距離を縮めた馬越の業績を高く評価した。
また、17歳年下の米井源治郎について端田さんは「米井は三菱の支援を得て1907(明治40)年、居留地企業から発展したザ・ジャパン・ブルワリーを買収して麒麟麦酒を創立。専務(社長不在)兼キリンビール総代理店明治屋社長として馬越の拡大路線を阻止するのだが、馬越が買収を仕掛けた際には、生産と販売を一本化して社内体制を整え、ガードをより強固なものにした」と、米井の手堅い経営手腕を称えた。
この後、米井が亡くなり、岡山人同士のビール戦争は磯野計の娘婿磯野長蔵に引き継がれるが、日中戦争に備えて戦費を確保するための[ビール国営化論]が起き、また経営難からくる複数社による合併論が再燃するなかで、1933年に馬越が亡くなる。
端田さんは「荒れた時代で、業界全体に過当競争による弊害が目立っていたが、馬越の死去によって、皮肉にも業界が業界としてのまとまりをみせはじめ、馬越が願った『新たな業界秩序』が生まれる。そして、これまで競い合ってきた大日本麦酒と麒麟麦酒が共同で販売会社を設立し、さらに敵対してきた大日本麦酒と日本麦酒鉱泉の合併も実現するのだが、これは、合併を通じて企業拡大をめざしてきた馬越が最後に仕掛けた渾身の一策だった」と、馬越の波乱万丈の生涯を結んだ。
この後、津山洋学資料館名誉館長の下山純正さんが参加者からの質問に答えて「米井源治郎は、幼少期に近隣にあった蘭学者宇田川三代の流れをくむ私塾で学んでいる。その後慶応義塾へ入学するのだが、その根底には、津山の洋学の流れがあったのではないか。一方、馬越はどちらかというと漢学、儒学系の系統で身をたてた人だから、漢学・儒学系統から出発した馬越と、洋学系統から出発した米井や磯野が、明治という時代の中でビール産業に目を付け、戦うというか、切磋琢磨して、両方ともに相当の高みまで上り詰めたことが、非常に面白いと感じている」と米井の幼少期の活動や学問の原点について解説した。
なお、新型コロナ感染症への対策のためシンポジウムへの参加者数を制限をせざるを得なかったため、今回もYouTubeでの動画配信を行った。
左:近藤廉平(『近藤廉平傳並遺稿』より)
右:坂本金弥(個人蔵)
次回の殖産シンポジウムは令和3年8月19日(木)。
「ダイナマイトと明治の夢」と題し、吹屋村(現高梁市)の吉岡銅山と中庄村(現倉敷市)の帯江銅山を、それぞれ洋式掘削技術やダイナマイト類を導入するなどして近代化を図り、全国屈指の銅山に成長させた近藤廉平と坂本金弥を取り上げる。