田渕藤太郎と三宅精一

会場の模様

岡山県立大学教授
井村 圭壯

社会福祉法人聖明福祉協会
盲養護老人ホーム聖明園曙荘副園長

本間 律子

第7回シンポジウム実施報告

「地域共生社会を夢見た人々」

公益財団法人山陽放送学術文化財団は11月27日(水)、岡山ゆかりの福祉分野の先駆者の足跡をたどり、その生涯と功績を議論紹介するシリーズ・シンポジウム「慈愛と福祉の先駆者たち」の第7回「地域共生社会を夢見た人々」を開いた。会場の岡山市北区の山陽新聞社さん太ホールは東京や大阪などから駆けつけた福祉関係者らで満席になった。

出演者
岡山県立大学教授 井村 圭壯
演題:高齢者福祉今昔~田渕藤太郎と報恩積善会~
社会福祉法人聖明福祉協会
盲養護老人ホーム聖明園曙荘副園長 本間 律子
演題:点字ブロックの誕生
    ~三宅精一と岩橋英行の友情秘話~

岡山市北区の農家に生まれた田渕藤太郎(1876~1928)。笠岡市の孤児院に務めたことから社会事業を志すようになる。1912(大正元)年妻のはつと岡山市下石井に報恩積善会を創立し、自宅に臥す高齢者の巡回介護や薬湯への入浴支援を始め、岡山県下初の養老院に発展させた。

一方、倉敷市で町の発明家としても知られていた三宅精一(1926~1982)。親友が失明したことをきっかけに点字ブロックを考案。国際規格にも採用されて世界中に普及していく。点字ブロックはバリアフリーの象徴として先導的役割をも果たしていった。

シンポジウムでは初めに、岡山県立大学の井村圭壯教授が社会の状況と報恩積善会の沿革について説明。他の養老院が財源に苦しむ中で田渕が事業を継続できたのは、演芸会の開催などを通じて地域の有力者のほかにも多くの賛助会員を集めるなど、地域住民との共存体制をとったからこそだと強調した。

また、社会福祉法人聖明福祉協会盲養護老人ホーム聖明園曙荘(東京都青梅市)副園長の本間律子さんはまず、点字ブロックが世界に普及していることや、三宅の親友で視覚障害のある岩橋英行との交流から点字ブロックが生れたと、その経緯を紹介した。そして、岡山で生まれた点字ブロックは視覚障害者のバリアフリー化を進め、今や福祉の象徴となっていると評価した。