「自分で守らなくては」

 パリのバンセンヌの森の入り口、パリ動物園入り口の手前に、1931年に建てられた「フランス植民地博物館」の巨大な建物がある。当時開かれた植民地万博のパビリオンの残されたもので、植民地が無くなって、「海外領土博物館」「アフリカ・大西洋博物館」などと名前が変わっても国立博物館で続いて、中には鰐のいる水族館まである。近年はブランリー河岸に開かれた原始美術館に所蔵品を移され、昨年新たに「移民の歴史博物館」として開かれた。ここで半年、5月末まで、「ファッション・ミックス」いう特別展が企画され、話題を呼び、若い人が意外と熱心に押しかけている。パリモードに貢献した、世界の外国人たちの記録展である。パリオートクチュールという職業を19世紀に発明したのもイギリス人だし、イタリー、スペイン、北欧、両米大陸、東欧、世界の才能が流入し、移民には違いない。近年は東洋諸国からもパリに花開かせ、ケンゾーを始めとする日本人デザイナーも35人ばかり一軍をなして、異彩を放ち目立つ。影響を与えた功績、出世作品だけでなく、フランスに入国したカードやパスポート、居住営業許可証、商業登録のような資料までも一部展示され、この博物館ならではの企画と、奥深いのである。
 ピエール・カルダンさん、この人も1922年イタリー生まれのフランス人。93才だがまだ健在で、毎朝スタジオに出て創作し、作品を作っている。コレクションのショーは、もうテレビやビデオをですぐ画像が流れる時代で、下らないからやめて開かないが、新デザインの製品は沢山あるブチックに常時供給しているという。昔は400人の従業員だったこともあるが、現在でも200人、スタジオには4人のデザイナーが働き、劇場、レストラン、ホテルとまであるから、皆の家族の生活が掛かり、30年、40年と永く続いている人も多い。スタートの頃からの5000点の洋服が手許に保存されていて、多くのデザイナーは予約特売などでコレクションモデル洋服を処分、在庫を抱えないようにするが、この人とイブ・サンローランは特殊で、作品として殆ど自分で保存していたのである。カルダンさんは、郊外の保存倉庫に開いていたカルダン博物館を、昨年11月からパリ市内のポンピドーセンター脇の、元はネクタイ問屋の巨大な倉庫だった建物に、地下1階地上3階のカルダン衣装博物館に改装、250点の作品を年代別に並べてこのたび開いた。1951年からの変遷を眺めても、立体造形で、形や着方の新しいものを創作するのが、オートクチュルデザイナーだと考えられていた頃の作品が懐かしい。現代デザインは、飾り装飾だけのような気がする。

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