「帰ってきたパリ・2012秋」

 周りに配慮して、言わない、考えるのが日本社会のパターンで、意見はあっても言う人がいないから、気の抜けたような集まりだった。これがフランス人や中国人の集まりとなると、言わなければ損だとばかりに、捲し立てるし、質疑応答の時間は、講師の倍ぐらい用意されている。質疑が出ないと集まりは失敗なのだ。日本に居た間の日々のニュースでも、各個人の意見の討論や、交換はほとんど見ることがないし慣れていない。頷くだけや、グルメのニュース、広告ばかりに埋まっているような日々だった。どんどん意見が闘わせる習慣でないと、国際社会では損な国だなと、がっかりさせられたのである。現在では日本の女性の方が、周りなど気にしないで、勇敢に発言のケースが多い。男性はうっかり言うと、腹を切らされたり、責任を取らされたり、恥を気にするそんな社会に慣らされてしまったのだろう。よく恥ずかしくもなく、分かり切ったこと発言するものだと、自分の宣伝や発言に酔ってしまっている外国人の顔を、呆れて眺めることも多いのだが、発言の交わせる社会は大切にも思う。黙ったまま押し切られ、黙々と軍部を信じていた時代を知っているのだから、矢張りこれでいいのだろうか。中国だって、無法でも何でも言うだけ得なのが、国際社会のプレゼンスである。何か自分に不愉快なまま、セミナーから帰ってきた。
 

2012年10月11日 赤木 曠児郎

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