フロール館
(ルーブル美術館)
 

「春が間近か」

 たまたま、会合に出たついでに時間があったので、一月二十九日に再オープンされて、話題の「パレ・ド・トーキョー」に寄って来た。(東京宮殿)という訳になるが、そう名付けられているだけで、別に関係はない。エッフェル塔の対岸、このセーヌ河岸を昔は東京河岸と名付けていたが、そこに1937年パリ万博のパビヨンが建てられ、この名前で呼ばれていた。
 日本が第二次大戦で敵国になり、負けたので戦後ニューヨーク河岸と名前が変わり、パビヨンの東側がパリ市立近代美術館、西側が国立近代美術館として、親しまれていたが、ポンピドーセンターが出来て、国立近代美術館の方はそちらに移転、空き家になった西側の建物にヨーロッパ画像音像製作家協会というのが入って、ビデオやイマージュの前衛芸術の発表のセンター、養成所みたいに使われていた。

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