今週の詩
2026.1.19.~2026.1.24.
『 短章「反衛生」 』
永瀬清子さんは57歳から岡山県教育庁の中にある、
世界連邦都市岡山県協議会事務局に勤め始めました。
年齢や仕事のみならず様々な問題を抱えていたこともあり、
体調はすぐれなかったようです。
それでも若い人に頼みたいことでも自分でやり、
「私自身の生命はつねに私に教えてくれる」と
「悩め」「力をつくせ」「戦え」「一歩出ろ」という心持ちでいたことがうかがえます。
後年の随筆では、年を重ねていく中で得た気づきをいくつか記しています。
そのひとつが次のことです。
「自分の肉体の状況がよくわかること。
そのためには感覚を鋭敏にするため
飲、食、その他をむさぼらず、無理しないこと。
仮に病気がきても早期に気づき、
できれば自力で自然に治癒する力を養うこと。
薬漬けになるのはこの反対の状態である。」
(『わたしの戒老録』共同通信社 1984年9月)。
つまり永瀬さんは、自分の体の声に耳を澄ましながら詩を書き続けていたのです。
生涯現役を貫いた詩人の生き方を垣間見ることができます。
世界連邦都市岡山県協議会事務局に勤め始めました。
年齢や仕事のみならず様々な問題を抱えていたこともあり、
体調はすぐれなかったようです。
それでも若い人に頼みたいことでも自分でやり、
「私自身の生命はつねに私に教えてくれる」と
「悩め」「力をつくせ」「戦え」「一歩出ろ」という心持ちでいたことがうかがえます。
後年の随筆では、年を重ねていく中で得た気づきをいくつか記しています。
そのひとつが次のことです。
「自分の肉体の状況がよくわかること。
そのためには感覚を鋭敏にするため
飲、食、その他をむさぼらず、無理しないこと。
仮に病気がきても早期に気づき、
できれば自力で自然に治癒する力を養うこと。
薬漬けになるのはこの反対の状態である。」
(『わたしの戒老録』共同通信社 1984年9月)。
つまり永瀬さんは、自分の体の声に耳を澄ましながら詩を書き続けていたのです。
生涯現役を貫いた詩人の生き方を垣間見ることができます。
<文・白根直子>
永瀬清子さん プロフィール
過去の放送をPodcastで配信中!
朗読
- RSKアナウンサー
- 小林 章子
- (こばやしあきこ)
岡山市生まれ。
RSKイブニングニュースで永瀬清子さんをテーマに取材。
2003年 第29回アノンシスト賞・優秀賞「テレビ 実況・フリートーク部門」
2010年 第36回アノンシスト賞・優秀賞「CM部門」
2013年 第39回アノンシスト賞・優秀賞「ラジオ 読み・ナレーション部門」など受賞。
1906年、現在の岡山県赤磐市に生まれました。
1995年、89歳の誕生日に生涯を閉じるまで、生涯現役の詩人を貫いた「現代詩の母」です。
多感な時期を金沢・名古屋で、結婚して大阪・東京で暮らし、1945年に夫の転勤で岡山市に帰りました。
戦後、現在の岡山県赤磐市松木で農業に従事しながら詩を書き、詩の雑誌「黄薔薇」を創刊。
岡山県詩人協会の初代会長も務め、後に続く詩人を育てました。
また、ハンセン病の入所者とともに詩を書き、選挙により豊田村の教育委員、岡山家庭裁判所の調停委員、世界連邦運動に参加、近代岡山の女性史研究を行うなど幅広い活動も知られています。