今週の詩
2025.4.21.~2025.4.26.
『 短章「流れる髪」 』
永瀬さんは、金沢の女学校卒業後、上級学校への進学をあきらめていましたが、
名古屋に暮らすようになり、新設された愛知県第一高等女学校高等科英語部に入学することができました。
この時、キングスレーのギリシャ神話を読んだ驚きが忘れられず、
当時のことをこんなふうに回想しています。
入学してからの私は一字毎に何かを空想した。
springという、breezesという、その言葉とその音には、
日本語では知らなかった美しさと音楽が含まれているではないか。
それは日本人が決して感じなかったほどに
ひるがえる海や草の穂を光らすようなさわやかな何かであり、
古い歌でいままで「春は来にけり」「春すぎて」などと云っていたものより
もっと透明な何かである。
そのようにも思った。
そして先生が教えてくれる以上にそわそわして毎日をすごしていたのであった。
(「私が詩を書きはじめた頃——大正の末つかたのはなし」『私は地球』沖積舎 1983年1月)
これまで知らなかった新しい世界との出会いは、
永瀬さんの心を大きく動かしました。
そしてその驚きを、年を重ねてもなお持ち続けていたところに
永瀬さんの詩の源があるのかもしれません。
名古屋に暮らすようになり、新設された愛知県第一高等女学校高等科英語部に入学することができました。
この時、キングスレーのギリシャ神話を読んだ驚きが忘れられず、
当時のことをこんなふうに回想しています。
入学してからの私は一字毎に何かを空想した。
springという、breezesという、その言葉とその音には、
日本語では知らなかった美しさと音楽が含まれているではないか。
それは日本人が決して感じなかったほどに
ひるがえる海や草の穂を光らすようなさわやかな何かであり、
古い歌でいままで「春は来にけり」「春すぎて」などと云っていたものより
もっと透明な何かである。
そのようにも思った。
そして先生が教えてくれる以上にそわそわして毎日をすごしていたのであった。
(「私が詩を書きはじめた頃——大正の末つかたのはなし」『私は地球』沖積舎 1983年1月)
これまで知らなかった新しい世界との出会いは、
永瀬さんの心を大きく動かしました。
そしてその驚きを、年を重ねてもなお持ち続けていたところに
永瀬さんの詩の源があるのかもしれません。
<文・白根直子>
永瀬清子さん プロフィール

過去の放送をPodcastで配信中!
朗読
- RSKアナウンサー
- 小林 章子
- (こばやしあきこ)
岡山市生まれ。
RSKイブニングニュースで永瀬清子さんをテーマに取材。
2003年 第29回アノンシスト賞・優秀賞「テレビ 実況・フリートーク部門」
2010年 第36回アノンシスト賞・優秀賞「CM部門」
2013年 第39回アノンシスト賞・優秀賞「ラジオ 読み・ナレーション部門」など受賞。
1906年、現在の岡山県赤磐市に生まれました。
1995年、89歳の誕生日に生涯を閉じるまで、生涯現役の詩人を貫いた「現代詩の母」です。
多感な時期を金沢・名古屋で、結婚して大阪・東京で暮らし、1945年に夫の転勤で岡山市に帰りました。
戦後、現在の岡山県赤磐市松木で農業に従事しながら詩を書き、詩の雑誌「黄薔薇」を創刊。
岡山県詩人協会の初代会長も務め、後に続く詩人を育てました。
また、ハンセン病の入所者とともに詩を書き、選挙により豊田村の教育委員、岡山家庭裁判所の調停委員、世界連邦運動に参加、近代岡山の女性史研究を行うなど幅広い活動も知られています。