会場の模様

東洋大学教授岩下 哲典

津山洋学資料館元館長下山 純正

山陽放送アナウンサー奥富 亮子

対談の模様

第4回シンポジウム実施報告

『開国へ』幕末外交の裏舞台で奔走 箕作阮甫

鎖国の中で日本の近代化を牽引してきた岡山ゆかりの蘭学者をテーマにしたシンポジウム「岡山蘭学の群像」の第4回、「『開国へ』幕末外交の裏舞台で奔走 箕作阮甫」を4月18日(月)、岡山市の山陽新聞社さん太ホールで開催した。会場は大勢の歴史ファンで満席となった。

津山藩医の三男として生まれた箕作阮甫(1799~1863)。江戸に出て津山藩医(江戸詰)宇田川玄真に蘭学を学ぶ。幕府の蕃書和解御用として外国書籍の翻訳にあたり、1853年ペリー来航時には米国大統領の国書を翻訳。プチャーチンとの対露交渉では使節団にも随行するなど舞台裏で奔走する。その後、幕府の蕃書調所(東京大学の前身)創設に参画して首席教授を務め、「海外情報の収集と研究」に力を注いだ。阮甫の訳述書は、日本最初の医学雑誌『泰西名醫彙講』や、19世紀の新世界誌をめざした『八紘通誌』など、99部160冊余りにも及び、その分野は医学・語学・西洋史学・軍事科学と広範囲にわたっている。

シンポジウムでは東洋大学の岩下哲典教授が『幕末の外交と箕作阮甫の役割』と題して基調講演。この中で岩下さんは「箕作阮甫のオランダ語の翻訳力は当代随一で、日本が国際社会にデビューするきっかけになった日露の条約につながる下交渉にすべて関わっていた。ペリーが高圧的にやって来たから国を開いたというよりも、その前の19世紀初頭の日露関係があったから、開国に向けてソフトランディングできた。その意味で、箕作阮甫の存在と役割は歴史上とても重要だ」と阮甫の役割を話した。

一方、津山洋学資料館の下山純正元館長は箕作家の系図を示しながら「優れた学者を輩出した箕作家系譜は『学者の一統』として広く知られている。維新の志士にも影響を与えるなど、明治以降のわが国の近代化に大きく貢献した」と強調した。

続いて、山陽放送の奥富亮子アナウンサーの司会により「箕作阮甫の人物像」をめぐって対談が行われた。この中でふたりは、阮甫が恵まれない環境で育ったこと、右手が不自由でコンプレックスになっていたこと、勝海舟の入門を断った理由、そして酒が好きで旅日記にも酒の記述があることなどを披露し、会場を沸かせた。

「シンポジウム岡山蘭学の群像」は、鎖国の中で日本の近代化を牽引してきた岡山ゆかりの蘭学者をテーマに、最新の研究成果を交えて紹介するシリーズ・シンポジウム。次の第5回は、日本で初めての民間新聞を発刊したほか、液体目薬の製造販売、和英辞典の編纂、巧みな広告戦略、石油の掘削などに日本で初めて取り組んだ岸田吟香(現美咲町出身)をテーマに、8月4日(木)山陽新聞社さん太ホールで開催する予定。