「休みの過ごし方」

 パリ15区という、エッフェル塔を含む円周から外に出た地区に住んでいるが、旧城壁に囲まれた市が、周辺の村々を含む大きな現在のパリ市になったのが1860年。今年が150周年である。現在のパリ市といっても、東西10キロ、南北8キロの楕円形で、その中に250万人ばかり住んでいる。最近また大パリ圏の誕生が云われ、周辺の県から統合されて人口1500万、東京都みたいな、大パリ首都圏が誕生する気運である。とにかく、わがグルネル村と、隣村ボージラール村が合併、15区誕生150年である。記念してバカンス前に15区役所講堂でも、市長さん、区が地盤の国会議員、市会議員、助役さん、区議員、地区役員、つまりお偉方と、招待VIP住人が招かれて500人の前で、「15区の歴史を語る」というミュージカル公演が、一夜だけ記念に開かれた。区の中にある演劇学校の先生や生徒の構成・制作、セミプロや、未来の新人たちの熱演が2時間。超満員で座席予約もウエーティングが出る始末、村の学芸会気分も中々の物であった。こうして、地区の住人に組み込まれてゆく。
  今年の新年演奏会は、近衛師団吹奏楽隊の演奏、年末はオペラ座からの歌手を招いての年末コンサート予定と、区長さん記念行事に熱が入っている。「15区150年の歴史」ミュージカル、わたくし達が日本で「シャンソン」と呼んで大好きなものが、第一次大戦前のオペレッタのヒット主題曲と、1920年代狂乱のパリ黄金時代と呼ばれた頃の、愛の流行歌だということが、よく分かった。曾祖父や、曾祖母の懐メロであって、現代パリはラップ、レゲエ、アフリカン、賑やかでないと、若者に受けないし、表現できないのでありました。

2010年8月5日 赤木 曠児郎

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