岡山市出身でフランスのパリを拠点に活躍する画家、赤木曠児郎さんから月に1回程度「パリ通信」を送っていただいています。

2017年11月16日

「日本で思ったこと」

 秋の日本を東京日仏会館での講演会のために往復して、今月は少し遅れた。日本では、自民党政府での継続された安定を多くの人が選び、これからは極端になれば、お国のために葉書一枚で出征、戦争に巻き込まれ戦死する不幸を目にする人も出るのだろう。第二次大戦後の70年間の平和な日々を持てたことを心から感謝する。とにかく新衆議院に選ばれた議員と内閣、みなが選んだ結果なのだから、自分たちの選択なのである。買い物や、レストラン、グルメの行列に溢れる若い人たちを見て、この人たち一人々々に830万円の国の借金を背負わされてのこの贅沢繁栄、何とも思っていないのかなーと、変な気分になって帰って来た。必ず付けは回って来るのだから。
 パリに戻ると、もう枯れ葉の季節、どこに行っても盛んに道路が掘り返されて、光ファイバーケーブルの配線工事や、給湯配管工事、それから道路の模様替え、インフラ整備の工事ばかりに出くわす。一番感謝なのは、イダルゴ市長の、市中に乗り入れる車の制限、歩く人たち人間優先の市政である。右派政権だった頃は車産業と車の便利さ中心の思想で、市中の車を早く走り抜けさせるのが方針、極力人間の歩く歩道が削られ、駐車で狭められて、ゆっくり歩けず、人影が少なくなって、町が寂びれてシャッターだったが、今では人間の歩く歩道がゆったりと広く拡張され、ベンチが出来、セーヌ河畔の堤防利用の車専用道路だったものまで、閉鎖されて人間のための散歩道になるなど、高齢者や、学童の送り迎え、散歩と出会い、人影が市内に目立つようになった。商店も人目を惹くように活気が生まれている。ただしその逆に、車中でパリを通過する人にはのろのろ運転で、散々な不評でボロ滓にぼやくが、矢張り屋外のテラスに座って休み、寒くなってオーバーコートを着てでも外のテラスを好み、ビールを飲み会話するパリジャンたち、人影が路上に多い町に賛成である。

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