「パリの個展、日本の個展」

3)作品が全てであり、作品が訴える力があり作品が語らなければそこまでである。画廊での個展の場合、会期も一ヵ月、二ヵ月に及ぶ。
 日本の画廊は一週間単位で切り替わり、貸画廊的性格が強い。貸画廊は矢張り差別の対象である。貸画廊と思われることをとても嫌がり、一級画廊、一級作家とは思われない。つまり、販売方法の考え方のコンセプトが、売る方も買う方も、全然違うのを何時も感じる。
 昔、藤田嗣治は長いパリ暮らしの後、日本での凱旋初個展にデパートの会場を提案され、雑巾や食品を売っているところで、自分の作品を並べるなんてとんでもない話だと断ったのは有名なエピソードだが、現代でも日本の百貨店会場で個展しましたと言うと、こちらの人は一段レベルの低い売り画作家と思うから、日本とフランスでは習慣が違いましてと一々言葉に気を付けて、説明を加えないとならない。それほど個人商店の見識が高い。ひっそりと静まり返って暇なようだが、最高級商品の自負、財力、客の信用を持っているのである。そしてそれぞれの業種で地区が固まっている。パリなら何処でも同じな訳ではない、何処の地区の何の店かも、たいへんに気にされる。
4)最新、最高級で、何年でも長持ちして使えるようなものを飾り、流行やシーズンで売り捌き、あとゴミ箱と考えるようなものを扱うのは、高級商店とはまた少し違うのである。流通理論とか、大量消費社会、そんなものが大手を振るっていたが、物余りの社会になると、人の関心もまた変わって来て、近年は高級なことに戻って来ているように感じる。ゆったりとウインドウを眺めながら散歩、楽しんでいてある時買う気が起きて、買ってくれるのを待っているのである。セカセカと買い物をせまるような所では、一流高級店は生まれない。

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