「老人よ、何故怒らない?」

  以前にカンヌの映画祭で、「楢山節考」が出品された時、地域社会の維持のため去って行く老人は深い衝動を与え、ナラヤマブシという流行語さえフランス語に生まれた。高齢化社会を迎えている日本の現在、例えばこの5月の一ヵ月の間だけで、日本の円の価格はヨーロッパのユーロに対し3割減少、大幅に安く下がった。アベノミックスなどと円安を喜ぶ風潮だが、理解できない。高齢者が貯めている自分の財産の世界評価を、3分の1も減らされて、景気が上向きなどと喜ぶ人が本当に居るのだろうか。輸出関連の業界の人が有利になるからだそうだが、目下日本の貿易は、赤字の垂れ流しである。輸入する消費材、燃料、原料方が、円安で高騰して結局パーなのである。日用品の物価も上がり、老人はまた辛抱しろと言う政治を許して良いのだろうか。貿易赤字の連続、つまり入らなくて、出て行くだけ、それにもう利子の支払いも追いつかない位の、借金の多すぎる国の財政である。老人よもっと怒ってもよいのではないか、不安でないのか、老人のためのデモもあっておかしくないのではないか?農業のための票田が、あれだけ政治家に圧力であるならば、高齢者の集団も、同じ一票であるはずである。1971年に書かれていたこの芝居が、凄く先を読んでいたように思えたのである。

2013年6月10日 赤木 曠児郎

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