岡山空襲 焼け野原からの復興~未来へ

2012年06月30日

1942年9月生まれの父が2歳だった頃、真夜中に叩き起こされておばあさんの背中におぶわれて山に逃げました。
東児が丘(玉野市)からは真っ赤に染まる岡山市が見えました。
今でもどの道をどう逃げたか鮮明に覚えているというほど、2歳の幼児の記憶に強烈に残ったその日は、6月29日の岡山空襲の夜でした。
定点写真_岡山空襲(1945年6月29日)で焼け野原になってしまった岡山市内
第一岡山中学校3年生だった須々木章さんは、表町の自宅でランプに黒い覆いをして光が外に漏れないように徹夜の試験勉強をしていました。
その晩は空襲警報 もなく、突然のことでした。気がつくと近所に火の手があがっていました。寝床にいつも用意してあるゲートルを履き、外に飛び出ました。火はまたたくまに表町(岡山市北区)の木造の家々を焼き尽くしていました。
学校や岡山城すら焼け落ちてなくなってしまいました。道ではたくさんの亡くなられた人を見ました。 昨日までは想像もしなかったできごとに、一瞬にして人生が大きく変えられた夜でした。
戦後に一中が青空教室を行っていた場所_岡山城本丸内
岡山市デジタルミュージアムで開催されている「第35回岡山戦災の記録と写真展」(無料:6/15~7/16)で当時の様子が偲ばれます。
空襲後の焼け野原は、旧日銀といくつかの建造物しか確認できません。バラックの人ごみを写した駅元町の風景は第三世界の貧困区かと見まがうほど。
写真や焼夷弾の展示を見て回りながら、須々木さんが戦争のこと、復興へ向けて市民が一生懸命生きていたことを話してくれました。たいへんな時代のバトンを今へつないでくれたことが分かりました。
「今の若者はなっとらん」とよく言われますが、こういう時代を生き抜いたあの世代の苦労とガッツを知らないとピンとこないと思います。
このような機会に過去の証に傾聴し、またこれからの未来についても語り合いたいものだと思いました。
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◇ドライブ情報
岡山市デジタルミュージアム】岡山市北区駅元町15-1 4階企画展示室