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戦争が続いていると信じ29年潜伏を続けた「最後の日本兵」小野田寛郎さん 戦いを終えメディアの前に(1974年)

太平洋戦争は1945年8月に終戦を迎えました。しかし旧日本軍の陸軍少尉、小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんは、戦争が続いていると信じたまま29年間、フィリピンのジャングルに潜伏し続けていました。1974年、捜索に訪れた日本人男性によって発見された「最後の日本兵」小野田さん。“29年の戦い”を終え、同年の3月10日、日本への帰還直前にメディアの取材に応じました。
■ 記者会見 記者:29年間なぜ出てこなかったのか? 小野田さん:私は軍人として命令によって、この島に派遣されてきたものでありますから(上官の)命令のないかぎりは絶対下山を許されるものではありません。 記者:もし、きょうここに出てくる機会がなかったら、あとどれくらいジャングルに潜んでいたと考えるか? 小野田さん:命令があるまでです。 記者:今まで一番つらかったことは何ですか? 小野田さん:戦友を失ったことです。 記者:それは小塚金七さんのことでしょうか? 小野田さんその前の島田伍長と・・・。 記者:それでは一番嬉しかったことはなんでしょうか?もしございましたら教えてください。 小野田さん:29年間嬉しかったことというのは、きょうの今までありません。 記者:日本が戦争に負けたことについてどうお考えになるか? 小野田さん:自分たちで全力を尽くしている限り、その勝敗はなんとも申し上げようがありません。 記者:日本の敗戦はいつ知ったか? 小野田さん:谷口少佐が自分に命令を下達された、そのときであります。 ■小野田寛郎さんとは 1942年、日本陸軍に入隊した小野田さんは、旧日本軍の施設でゲリラ戦の訓練を受けたあと、1944年12月にフィリピン・ルバング島へ派遣されました。米軍の進行を想定して山中に立てこもって行う「遊撃戦」や現地に残っての情報収集が任務でした。1945年2月に米軍が同島上陸後も数人の仲間とともに山中に隠れていた小野田さん。終戦後も任務解除の命令がなかったことから、29年間ジャングルに身を潜め、戦闘を続行していました。 1972年10月、日本政府筋にマニラの日本大使館から報告が届きました。「元日本兵2人がフィリピンの警官と遭遇し、1人が射殺され1人が負傷してジャングルに逃げ込んだ」というものです。殺害されたのは小野田さんと一緒に潜伏していた小塚金七(こづか・きんしち)陸軍一等兵と確認され、ジャングルに逃げ込んだのは小野田さんと見られました。 その後小野田さんの捜索が行われたものの、手掛かりがつかめない状態が続いていましたが1974年2月、日本人男性鈴木紀夫さん(当時24歳)によって発見され、かつての上官だった谷口義美元陸軍少佐に任務の解除命令を伝達されたことで、1974年3月10日、ジャングルでの戦いにようやく終止符が打たれました。 【映像】1974年3月10日、フィリピン・ルバング島で、髭を生やし、頭には戦闘帽、手には軍刀を持ちながら記者会見に臨む様子。その翌日に、ともにジャングルに潜んでいた戦友・小塚金七さんの墓を詣でる姿や東京に向け帰国(3月12日)するため日航特別機のタラップを上り「みなさん、ありがとう!さようなら!」と笑顔で手を振る姿など。(07日19:54)

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