RSK山陽放送トップページ

岸田新内閣は記念すべき100代目!歴代100内閣おさらい 伊藤博文から岸田文雄まで

4日、国会では100代目となる総理指名選挙が衆参両院で行われました。先週、自民党総裁選で河野氏らを破った岸田新総裁が総理に選ばれ、岸田内閣が100代目の内閣となります。内閣制度が発足したのは明治18年(1885年)。以来、136年間どういった内閣が日本の政治・行政を担ってきたのか俯瞰してみましょう。
【藩閥出身者が独占(第一次伊藤内閣〜第四次伊藤内閣 1885〜1901)】 1 第一次伊藤博文内閣2 黒田清隆内閣3 第一次山県有朋内閣4 第一次松方正義内閣5 第二次伊藤博文内閣6 第二次松方正義内閣7 第三次伊藤博文内閣8 第一次大隈重信内閣9 第二次山県有朋内閣10 第四次伊藤博文内閣 最初の10代の内閣を見ていくと日本史の教科書でなじみの政治家ばかりですね。これらの総理はいずれも明治維新の原動力となった“雄藩”と呼ばれる「薩長土肥」のうち、薩摩藩出身者(黒田・松方)、長州藩出身者(伊藤・山県)、佐賀藩(肥前藩)出身者(大隈)でしめられています。なお明治憲法の発布(1889)は黒田内閣、日清戦争(1894〜5)は第二次伊藤内閣の時の出来事です。 【桂園内閣から政党政治の時代へ(第一次桂内閣〜高橋是清内閣 1901〜1922)】 11 第一次桂太郎内閣12 第一次西園寺公望内閣13 第二次桂太郎内閣14 第二次西園寺公望内閣15 第三次桂太郎内閣16 第一次山本権兵衛内閣17 第二次大隈重信内閣18 寺内正毅内閣19 原敬内閣20 高橋是清内閣 11代以降は伊藤、山県などの元勲と呼ばれる人たちは一線を退きます。代わって桂太郎、西園寺公望の両総理が交互に政権を担う「桂園時代」(1901〜12)が10年あまり続いたあと時代は大正へと移り変わり「大正デモクラシー」で知られる政党政治が隆盛を極めます。初の本格的な政党内閣(1918)として知られる原敬(はらたかし)総理は戊辰戦争の時、薩摩長州の政府軍と戦って敗れた岩手の南部藩の出身ですが総理になってからも爵位(公爵・伯爵など)をもらわなかったことから「平民宰相」と呼ばれていました。 【大正から昭和戦争への道(加藤友三郎内閣〜鈴木貫太郎内閣 1922〜1945)】 21 加藤友三郎内閣22 第二次山本権兵衛内閣23 清浦奎吾内閣24 加藤高明内閣25 第一次若槻礼次郎内閣26 田中義一内閣27 浜口雄幸内閣28 第二次若槻礼次郎内閣29 犬養毅内閣30 斎藤実内閣31 岡田啓介内閣32 広田弘毅内閣33 林銑十郎内閣34 第一次近衛文麿内閣35 平沼騏一郎内閣36 阿部信行内閣37 米内光政内閣38 第二次近衛文麿内閣39 第三次近衛文麿内閣40 東条英機内閣41 小磯国昭内閣42 鈴木貫太郎内閣 この時期はまさに動乱の時代でした。加藤友三郎総理は病気のため現職のままで死亡し、次の内閣を組閣中に関東大震災(1923)が起こりました。総理不在の中で災害対応を強いられました。またその後も張作霖爆殺事件(1928)、世界恐慌(1929)など歴史の教科書でなじみの出来事が相次ぎます。そして第二次若槻内閣の時に満州事変(1931)が起こります。日本は戦争への道をひたひたと進むことになります。またその翌年には犬養総理が青年将校らの襲撃を受け暗殺される5・15事件(1932)が、さらに岡田内閣の時に軍部によるクーデター2.26事件(1936)が発生。岡田総理は一命を取り止めましたが総理経験者の高橋是清蔵相、斉藤実内大臣らが暗殺されます。第一次近衛内閣の時に日中戦争が始まり(1937)その後戦争が泥沼化する中でアメリカなど欧米諸国との対立が鮮明となります。アメリカが対日輸出規制をとる中、第二次・三次近衛内閣で戦争回避のため近衛総理は対米交渉を継続しますが交渉継続は困難として総辞職。そして東条内閣で対米戦争(1941)に踏み切り長い戦争が始まりました。3年と8か月にわたる戦いで日本は多くの犠牲を払い連合国軍からの「ポツダム宣言」を受諾したのは鈴木貫太郎内閣です。映画などでよく取り上げられる老宰相です。 【戦後復興へ(1945〜54 東久邇宮内閣〜第5次吉田内閣)】 43 東久邇宮稔仁内閣44 幣原喜重郎内閣45 第一次吉田茂内閣46 片山哲内閣47 芦田均内閣48 第二次吉田茂内閣49 第三次吉田茂内閣50 第四次吉田茂内閣51 第五次吉田茂内閣 ポツダム宣言受諾後日本はアメリカをはじめとする連合軍の間接統治下に入ります。この時期の総理の特徴は幣原総理、吉田総理、芦田総理といずれも戦前に外交官として活躍した人物たちが総理に名を連ねている点です。明治憲法に代わる日本国憲法が公布(1946)されたのは第一次吉田内閣です。また日本が独立を果たしたサンフランシスコ講和会議(1951)は第三次吉田内閣のときです。吉田総理は自民党の麻生太郎副総裁の祖父です。また片山内閣(1947)は社会党党首が総理となる初の内閣でした。 【55年体制・自民党単独政権の時代(1954〜93 第一次鳩山内閣〜宮沢内閣)】 52 第一次鳩山一郎内閣53 第二次鳩山一郎内閣54 第三次鳩山一郎内閣55 石橋湛山内閣56 第一次岸信介内閣57 第二次岸信介内閣58 第一次池田勇人内閣59 第二次池田勇人内閣60 第三次池田勇人内閣61 第一次佐藤栄作内閣62 第二次佐藤栄作内閣63 第三次佐藤栄作内閣64 第一次田中角栄内閣65 第二次田中角栄内閣66 三木武夫内閣67 福田赳夫内閣68 第一次大平正芳内閣69 第二次大平正芳内閣70 鈴木善幸内閣71 第一次中曽根康弘内閣72 第二次中曽根康弘内閣73 第三次中曽根康弘内閣74 竹下登内閣75 宇野宗佑内閣76 第一次海部俊樹内閣77 第二次海部俊樹内閣78 宮沢喜一内閣 吉田内閣が総辞職し新たに誕生したのが鳩山一郎内閣でした。鳩山由紀夫元総理の祖父に当たる人物です。当時国内の保守勢力は吉田総理が党首を務めた自由党と鳩山総理の日本民主党の2つに分かれていました。同じく右派と左派に分かれていた社会党が統一されたことから保守勢力も合同します。これを保守合同といい自由党と日本民主党が一体となり自民党が誕生します(1955)。その後は自民党の安定政権が続きます。日米安保条約改定を巡る安保闘争(1960)で岸信介総理(安倍晋三元総理の祖父にあたります)が退陣するなどの波乱もありましたが、その後を継いだ池田勇人総理が「所得倍増」を唱えて高度成長の時代を迎えます。佐藤栄作総理の時の日韓基本条約(1965)、沖縄返還(1972)、田中角栄総理時代の日中国交正常化(1972)など戦後の外交案件が一定の解決を見たのがこの時期です。一方、日本が経済大国となる過程で“政治とカネ”の問題が深刻化してきました。三木総理の時にアメリカで発生した「ロッキード事件」で田中元総理が逮捕・起訴されました。また「リクルート事件」により竹下登内閣は総辞職しました。その後自民党内では“政治とカネ”の問題を解決するためには小選挙区を中心とした選挙制度に改めるべきという意見を当時の小沢一郎元幹事長らが主張するようになり、最終的に自民党は分裂。宮沢内閣に対する内閣不信任案が、小沢氏らが賛成に回ったことで可決され、55年体制は終わりを告げました。 【2度の政権交代と連立政権の時代(1993 細川内閣〜)】 79 細川護煕内閣80 羽田孜内閣81 村山富市内閣82 第一次橋本龍太郎内閣83 第二次橋本龍太郎内閣84 小渕恵三内閣85 第一次森喜朗内閣86 第二次森喜朗内閣87 第一次小泉純一郎内閣88 第二次小泉純一郎内閣89 第三次小泉純一郎内閣90 第一次安倍晋三内閣91 福田康夫内閣92 麻生太郎内閣93 鳩山由紀夫内閣94 菅直人内閣95 野田佳彦内閣96 第二次安倍晋三内閣97 第三次安倍晋三内閣98 第四次安倍晋三内閣99 菅義偉内閣100 岸田文雄内閣 細川内閣以降は自民党の“一党支配”は終わり連立政権が続きます。細川内閣は非自民の8つの党・会派により作られた内閣で非自民政権と呼ばれました。しかし政権の実力者の小沢氏と対立した社会党が政権を離脱し、自民党と手を組んだことから“自社さ”(自民党・社会党・さきがけ)連立で村山内閣が誕生し(1994)、自民党が政権に復帰しました。その後小渕内閣の時には自由党と公明党と“自自公連立”を組みます。相次ぐ失言などの支持率低迷に苦しむ森喜朗内閣の後、小泉純一郎内閣が発足し(2001)郵政公社の民営化について信を問う“郵政選挙”(2005)を行いました。この選挙では自民党内でも賛成反対真っ二つに分かれ民営化に反対した候補の選挙区に小泉総理は“刺客”と呼ばれる対抗馬を立て激しい選挙戦を繰り広げました。その後、2007年の参院選で第一次安倍内閣を率いた安倍総理が野党民主党に大敗し衆参で“ねじれ”を生じさせ政局が混迷しました。福田・麻生政権はいずれも1年という短命で終わり、鳩山民主党政権が誕生します(2009)。しかし民主党政権も東日本大震災と東京電力福島第一原発事故(2011)に見舞われ混乱。その後、党内で消費税を巡って引き上げを訴える野田総理と反対派の小沢一郎氏らが対立。有権者からの支持を失い自民党に政権を奪還されます(2012)。その後安倍内閣、菅内閣と自公連立政権が続き2021年10月4日岸田内閣が誕生しました。岸田内閣は記念すべき100代目の内閣となりますが、解散、総選挙後に選び直される次の内閣は第101代となるため、第100代総理大臣は短命になります。(04日14:00)

JNNニュース一覧