エチエンヌ・ペルネ広場(2)-赤
 

「デモの報道」

 日本からの目で見れば不思議としか思えないが、今回の学生騒動は、二年間の雇用テスト期間を置くという、政府の出した対策に不満だと騒ぎだしたのである。デモとかストで社会の不満を発散させておいて、自然と鎮めてしまうのは、王様の首を切ってフランス革命、共和制を成立させたフランスが十九世紀以来使ってきた常套手段である。鎮圧して押さえると、もっと悪くなることを知っているからやらせている感がある。無駄な贅沢をせず蓄積のある国で、バカンスになれば全て休んでバカンス。仕事の時期になるとまたスト、デモと熱中するのである。四月半ばの二週間はイースター春休みで計算に入っていて、ワーワー大声あげていても休暇は休暇で、休みに地方に散ってしまうのである。パリの大道路は、十九世紀後半に軍隊の移動に便宜なように、中世の古い細い迷路を取り壊して、広く直線に都市計画されている。毎日起こる抗議デモも、どの大通りの何処から何処まで、何時から何時までと指定されていて、参加は権利、これ幸いと仕事やめて騒ぎに集まるので、名物に近い。デモの30メートル離れた街角で、何時ものように描いていても、TVはデモの撮影しても、私は見向きもされない。多くの皆も、庶民の声を上げてくれているんだと聞き流し、普通に暮らしているのである。

2006年4月3日 赤木 曠児郎  
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