展覧会の風景
(カルナバレ美術館 分室)
 

「私の展覧会が始まった」

  今から400年前に、三つの小島が合わされて大きくなったのがシテ島で、ノートルダム寺院や警視庁、裁判所が建っているが、二千年も昔に、セーヌ河のなかの小島の一つに、安全と交通の便のためゴール人が住み始めたというパリ発生の場所で、フランス全土の距離はこの地点から計られるから、文字通りフランスの中心広場である。 ここの地下には昔からの遺跡が重なって埋まり、ローマ人が占拠していたころの城壁や船着場とか、中世の家、教会堂、病院の跡などが複雑に入り組んで残り、40年ほど前から発掘調査して、見れるようにして、広場地下部分を美術館として公開、2001年10月現在のドラノエ社会党市長になってから、カルナバレ美術館が分室として管理、運営するようになった。
  地下遺構の周りの壁に、この3年来いろいろなパリ市成立の歴史記録を、パネルや図面で、展示、催しを開いたりノートルダム寺院を訪れるアメリカ人観光客や、学校の見学授業は沢山入るのだが、世界中何処でも同じで、住んでいるご当地パリジャンには興味は今一つ、あまりに知名度が低い。それで二千年の遺構とオリジナル作品の現代パリ対比の展覧会を開いてみたらとの企画で、館長さんが頼んで見えたのだった。企画を担当学芸員の方と話しているうちに、パリ40年の記念回顧展的な形になった。お土産絵的にパリを描く作家は沢山あるが、仕事のテーマとしてパリを続けて制作している作家は考えてみれば少ないから、それで外国人絵描きながらお鉢が廻ってきたのであろう。市や美術館には予算も殆ど無く、美術館に111点のパリを描いた私の作品が所蔵されているので、これをベースを活用してとの発想だったが、25年ほど前カルナバレ美術館で日本人で展覧会を初めて開いた絵描きも私、今度も絵をその地下分室に飾るのは初めての試みとのことで、ますます張り切った。生活の当てにならない絵を描くことが、人様のお役に立つ年齢になったのかと、まるで平手造酒のような助っ人気分である。

BACK NEXT

page2/3