会場の模様

豊田市郷土資料館館長森 泰通

早稲田大学政治経済学術院教授土屋 礼子

岡山県立美術館顧問鍵岡 正謹

岸田吟香の曾孫岸田 夏子

第5回シンポジウム実施報告

初めてジャーナリストと呼ばれた男 岸田吟香

公益財団法人山陽放送学術文化財団は8月4日、岡山日蘭協会の協力を得て、日本初の民間新聞を創刊し、また事業家としても活躍した岸田吟香をテーマにしたシリーズ・シンポジウム「岡山蘭学の群像Ⅴ 初めてジャーナリストと呼ばれた男 岸田吟香」を、岡山市北区の山陽新聞社さん太ホールで開いた。会場は大勢の歴史ファンで満席となった。

三河の挙母藩(現在の豊田市)の飛び地だった美作・久米北条郡(現在の岡山県美咲町)に生まれた岸田吟香は、町人として暮らしていた幕末、目の治療に通った横浜のヘボン医師のもとで、アメリカにはその日のできごとを知らせる新聞があることを知り、日本初の民間新聞を創刊したり、台湾出兵に同行して絵入りの従軍記事を連載するなど日本の言論界の礎を築いた。また、本格的な和英辞典の編纂、石油の掘削、液体目薬の販売、日中交流事業、視覚障害者の教育にも尽力するなど幅広い分野で先鞭をつけた。

吟香の応援団長を自任する豊田市郷土資料館の森泰通館長は、「傑人岸田吟香、美作より現る」と題して基調講演。この中で森館長は、吟香の日記を中心に解説し、「やると決めたら先頭を走ってどこまでもやる。議論よりも行動の人で、どうにかなるさという意味の『ままよ』の心意気をもつ明治の傑人だった」と評価した。

メディア史を専門とする早稲田大学政治経済学術院の土屋礼子教授は、「アジアの中の岸田吟香~混沌の時代を走り抜けたメディア人」と題して講演し、在野精神を貫いたジャーナリストとしての側面を強調。「それまでの漢文調からやさしい話し言葉を使って記事を表現するなど、庶民の啓蒙を第一とし、コミュニケーションのバリアフリーをめざした」と話した。

「描き、描かれた吟香」と題して講演した岡山県立美術館の鍵岡正謹顧問は、四男で画家の劉生ら子孫に受け継がれた芸術的才能や書の魅力に注目し、目薬の瓶のデザインや広告なども手掛けた吟香は「デザイナーであり、クリエイターであり、アートディレクターのような仕事もしていた」と進取の面を高く評価した。

この日は、吟香の曾孫、洋画家劉生の孫にあたる岸田夏子(洋画家)さんも会場に姿をみせ、3人の演者の講演に熱心に耳を傾けていた。最後に、あいさつに立った夏子さんは「私たち家族でさえ知らないことがたくさん研究で明らかにされています。生まれ故郷でこのように大事にしてもらい、シンポジウムまで開いてもらえてほんとうに幸せです」と話していた。

「シンポジウム岡山蘭学の群像」は、鎖国のなかで日本の近代化を牽引してきた岡山ゆかりの蘭学者をテーマに、その業績と最新の研究の成果を紹介するシリーズ・シンポジウム。次回(第6回)は、オランダ技術を取入れた児島湾干拓と事業推進に重要な役割を果たした元岡山藩監軍・杉山岩三郎をテーマに、「オランダ技術で海を割った男 杉山岩三郎」と題して、11月25日(金)山陽新聞社さん太ホール(岡山市北区柳町)で開催する予定。